前回「氣」についての記事を書いてから、「氣」についてもう少し知りたくなり、こちらの本を読んでみました。
藤平 光一(とうへい こういち、1920年1月20日 - 2011年5月19日)は、東京生まれ栃木県出身の日本の武道(合気道)家。心身統一合氣道の創始者。1969年(昭和44年)合氣道10段。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
なぜ「気」を「氣」と書くのか、の記述もありました(p26~28)。
簡単にまとめますと、
「氣」の上の「气」は天体をかたどっている象形文字で、雲が交わっている状態をかたどったもの。
下は「米」とした。
「米」は中心から八方に広がっている状態を表している。天体のように八方に無限に広がって出ていくもの、これが「氣」という意味であり、氣とは出すものなのである。
ところが、常用漢字では、なかに「メ」を使って「気」と書く。「メ」とは締めるという意味だ。これでは、氣を内側に閉じ込めてしまう意味になってしまう。
しかし、もともと氣は閉じ込めるものではない。氣は出すから入ってくるのである。
人間は生きている間は、いつも氣を出しているのが当たり前なのである。氣を出すから新しい氣が入り、出しているから天地の氣と交流して「生きている」ということになる。それが氣の使い方なのであって、そうなると「気」を用いるのはおかしいことになる。
そして、「氣の交流が妨げられると病氣になる」と言われています。
「永久にとだえてしまえば、死ぬ」と。
知れば知るほど「気」よりも「氣」を使いたくなりますね。
こんな真逆の意味では😅
「氣」ってどういうイメージをお持ちでしょうか?
特別な人が出せるんでしょと思いがちですが、
藤平さんによりますと
(p21)
氣は、人間なら誰でももっているものである。また誰にでも出せるものだ。しかし、みなさんは案外これに氣づいていない。
(p22)
あなたの心と体のなかには、じつは信じられないような「氣」というパワーが秘められている。
この氣の存在を知り、活用すれば、二、三倍どころか、十倍の力が出せるのである。人の最高の能力を発揮できるようにすること、それが氣を出すことなのである。
と言っておられます。
「氣」から「気」へ漢字を変えた背景を考えると、
「氣」は何か特別な人が出せるもので、一般人は出せるものではないと思わされていたということもある?
藤平さんは氣の原理を幅広い分野で指導され、プロ野球の世界でもいろいろな方にご指導され、選手の方がご活躍になったようです。(王貞治さんなど)
今まで「氣」についてあまり考えたことはなかったのですが、せっかく「氣」の存在を知ったわけですし、活用していくのも面白いかもしれません。
興味のある方は読んでみてください。
こちら↓で試し読みもできるようです。
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