稲垣さんのご著書シリーズ第5弾です!
稲垣えみ子 著
『人生はどこでもドア リヨンの14日間』
フランス語が出来ない状態でフランスのリヨンに行き、14日間滞在した旅行記です。
今まで読んだ稲垣さんのご著書とは少し系統が違い、今回は旅の本です。
と言いましても、稲垣さんですから一般の旅の本とは異なり、稲垣流海外での過ごし方となっておりました。
リヨンで民泊をし、普段の日本での生活(自炊など)を実践するというもの。
53歳(確かどこかにそう書いていたような・・・)で稲垣さんは実践されたのですが、その年齢より少し若いわたしは、年齢的にはまだまだわたしもできるなと思いました。
海外一人旅の経験はあっても、アパートみたいなところを借りて生活をするといったスタイルは未経験。
なんとも面白そうじゃないですか!
(p.35)
地味な暮らしとはすなわち、日々代わり映えのない簡単な暮らし。朝早く起きて、同じ時間に家事(炊事・洗濯・掃除)をして、同じ時間に寝る。実に単純。だからいいのだ。だってこれくらいなら自分の力で何とかやりきることができる。キラキラした素敵なことなんて何一つ起きなかったとしても、ちょっとした努力さえすれば、少なくとも毎日整った清潔な場所で、こざっぱりとした身なりをして、美味しいものを食べて、そして世間様のために汗をかく(仕事をする)ことができる。
考えてみれば人生、それで十分なんだよね。
(p.150)
・・・・・・と浮かれながらも、きっとまた明日には落ち込むことが起きるんだろうなーと、ちらりと考える。
でもいいの。悲しいことがあるから嬉しいことがある。一歩一歩。
(p.204~p.205)
でももうここまでくると言葉はあんまりいらないんだと思いました。だってもう絶対気持ちが通じ合っていたからです。私がおじさんの仕事を本当に心から尊敬しているんだってことは絶対伝わったという確信がありました。
(p.205)
たとえ言葉は通じなくても、人に気持ちを伝えることができる。それは「行動」なんだと改めて思ったのです。
(p.268)
人はいつも、明日は当たり前に来るはずだと思っている。でも確実に今日ですべて終わるのだとわかっている時、人は何をするのだろう?私は今日、そんな局面に立ったのだ。で、全く思いがけないことに、「お世話になった人に感謝を伝えよう」と思ったのである。
(p.283)
私が私として旅をしたことは、何らかの意味があったのだ。私は他の誰でもない「私」として、実に不器用ではあったけれど、見知らぬ異国の人とほんの少し、でもちゃんとつながることができた。そして、そのことが次の世界への扉を開いてくれたのだ。
もはや私の世界は無限であった。私は私であればいいのである。そのことだけで、世界とつながっていけるのだ。
わたしは・・・
わたしを生きているだろうか?
「わたしはわたしを生きている」と胸を張って、まだ言えないかな。
あなたはあなたを生きていますか?
稲垣さんのご著書を読んだ後は、いつも最終的に自分(わたし)の生き方を振り返っている氣がする・・・
わたしはどうなのか?
どう生きたいのか?
普段、意識的に生きているようで実はそうでもなく、無意識的な行動も多い。
それでは「わたしを生きている」とは言えない。
みんながするからする。
世間の目があるからする(しない)。
世間の常識。
偉い人が言っているから正しい。
そのような状態では、いつまでたっても「わたしを生きる」ことなんてできないだろう。
自分を他人に預けているのと同じではないだろうか。
改めて、「わたしを生きる」とは何なのか考えてみたいと思った。