稲垣えみ子さんご出演のテレビを拝見して以来、すっかり稲垣さんにはまっています。
稲垣さんは冷蔵庫も洗濯機も手放して、ガス契約せず、電気代は月に約200円という生活をされています。
今回は、稲垣さんのご著書シリーズ第3弾!
稲垣えみ子 著『寂しい生活』
タイトルは『寂しい生活』ですが、寂しさなど全く感じませんでした。
モノを極限まで減らしているので、それが世の中的には「寂しい」になるのかもしれないけれど、稲垣さん自身は露ほども寂しいとは感じておられないでしょう。
稲垣さんを知れば知るほど、稲垣さんはこの上なく豊かに暮らしておられると感じます。
(p.46)
何かをなくすと、そこには何もなくなるんじゃなくて、別の世界が立ち現れたのである。もともとそこにあったんだけれども、何かがあることによって見えなかった、あるいは見ようとしてこなかった世界。
(p.51)
「ない」ということの中に、それが何かはよくわからないけれど、別の可能性みたいなものが広がっているんじゃないか?
(p.73)
自分の目で見て、自分の頭で考えて、自分の手足でやってみるということ。もしやそのことを、今の世の中は「不便」と呼んでいるんじゃないだろうか。
だとすれば、不便って「生きる」ってことです。
だとすれば、便利ってもしや「死んでる」ってことだったのかもしれない。
(p.109)
我々は便利を手に入れたと思っていたけれど、本当にそうだったのか。どうも物事には両面があるらしい。確かに何かを得た。しかし一方で、同じくらい何かを失っていたのではなかったか。
(p.146)
我々が本当に恐れるべきなのは、収入が減ることよりも何よりも、自分自身の欲そのものである。暴走し、もはや自分でもコントロールできなくなったぼんやりとした欲望。
そこから脱出するために必要なのは、何よりも欲の正体を見つめることだ。自分はどうしたら本当に満足できるのか、そこを見つめることだ。
(p.153)
可能性を広げることが豊かさなのだと信じて生きてきたのである。
しかしそれは本当に豊かさだったのだろうか。可能性を広げると言いながら、実際には欲を暴走させて不満を背負いこんできただけではなかったのだろうか。
可能性を閉じて生きる。
私はその可能性にかけてみようと思っているのである。
(p.211)
我々はもはや、差がなければ豊かさを感じることができなくなっている。そしてそれは、何かの罠みたいなものなんじゃないだろうか。
(中略)
我々はともかくも、差がつけばいいのか?つまりは自分が豊かさを感じるためには、貧しい他者の存在が欠かせないのだろうか?
そんな競争に、果たしてゴールがあるのだろうか?
(p.253)
人が生きていくのに必要なものなんて、本当はそんなに多くない。でもそれでは、みんなが必要なものを手に入れてしまったら、ものが売れなくなってしまう。それでは困る。だからこそ、人々に「まだまだ足りない」と際限なく思わせ続けなければならない。
つまりは欲をどこまでも拡大させる。それこそが経済を活性化させる重要な鍵なのだという事実を、これほどまでにわかりやすく表現したものがあるでしょうか。
(p.261)
実際のところ便利なものを手放したら自分の生物としての能力が次々と「復活」しているのに気づいて驚くことが少なくありません。
(中略)
便利は人を退化させ、不便は人を進化させるのであります。
(p.263)
自分はすでに「足りていた」んです。今もうすでに十分すぎるほどのものを持っていたんだと。で、足りないものなんて何もないんだとわかったんだと思う。
(p.264)
家電を捨てたら、家電が膨らませていた欲も一気にしぼみ、そうしたら家事なんて本当にシンプルで単純で、わざわざ電気の力をお借りするまでもないのです。
モノを減らすことが話題にはなっていますが、単に「断捨離してスッキリ!」という話ではないです。
生きるとは何なのか
どう生きるのか
どう生きたいのか
そう問われていると感じました。
特に終盤部分、魂が揺さぶられました。
稲垣ワールド、実に奥が深いです。
すごかった。
引き続き稲垣さんのご著書を読んでいきたいと思います。