こちらの続きになります。
塩づくりの歴史
納屋のほうへ行ってみました。
中へ入ると塩づくりに必要な用具などの展示があり、塩の歴史が学べます。
音声も流れます。
江戸時代の終わりごろには、全国の製塩量の約7割を生産するほどでした。
とあります。
全国の7割って、すごいですね。
塩のない家庭などなかったでしょうしね。
江戸にも赤穂の塩が行っていたようです。
パンフレットにも塩づくりの歴史について記載されていました。
塩の国 日本の塩づくりの歴史が見える
日本の塩づくりは、塩分濃度約3%の海水から「かん水」という濃い塩水(約18%)をいかに早く大量につくるかの歴史でした。
<弥生・古墳時代>
藻塩焼き (もしおやき)
塩をとるもっとも原始的な方法のひとつです。海藻を日に干し焼いてできる塩分を含んだ灰や、干して塩分のついた海藻に海水をかけてかん水をつくり、これを土器で煮つめて塩をとります。
<中世>
揚浜式塩田 (あげはましきえんでん)
塩をたくさんとる方法として考えられたこの方法は、原料となる海水をくみあげて塩浜と呼ばれる砂を敷いた浜にまきます。太陽の熱により水分を蒸発させ、その砂を集めて海水をかけかん水をつくります。
<江戸時代>
入浜式塩田 (いりはましきえんでん)
潮の干満の差を利用して、海水を塩浜に送りこみ、砂に塩の結晶がつくようにしています。わが国独自の方法として、約400年間盛んに行われました。
<昭和27年頃~昭和46年>
流下式塩田 (りゅうかしきえんでん)
昭和20年代後半から始められたこの方法は、表面に粘土を張り、ゆるい傾斜をつけた盤の上に海水を流し、太陽の熱で水分を蒸発させます。更に、枝条架によってかん水をつくります。
<昭和47年~現代>
イオン交換膜法 (いおんこうかんまくほう)
イオン交換膜法によりかん水をつくり、更に真空式蒸発缶で煮つめて塩をとる方法です。
実際に塩田を見ることができます。
<入浜式塩田>
<流下式塩田>
揚げ浜式塩田は撮影していませんでした😅
失礼しました。
いただいた冊子
外国のように岩塩や塩の湖があれば、それほど苦労せず塩が手に入ったのでしょうが、それらがない日本では海水から塩を作るしかなかったということですね。
しかし海水の塩分濃度は約3%のため、いきなり海水を煮詰めると燃料がたくさん必要となります。そのため、まず塩分濃度約18パーセントのかん水をつくりました。
塩づくりにおいてかん水をつくることが何より大変で、時代が進むにつれてより労力の少ないやり方に変化していきました。
昭和27年頃からは流下式塩田によって、今までよりも簡単にかん水が作れるようになりました。
冊子にはこう書かれています。
流下式枝条架塩田は、入浜塩田にくらべて生産力で約3倍と進歩しました。一方、労働力では10分の1となり、日本の塩づくりは重労働から解放されました。昭和30~40年代は、この方法でさかんに塩がつくられました。
やっと重労働から解放されたにも関わらず、20年ほどで終わってしまいます。
1971(昭和46)年に「塩業近代化臨時措置法」が成立し、農業的な塩づくりからすべての製塩が工業的なイオン交換膜法に切り替えられたのです。
赤穂には約400町歩の塩田があったそうですが、1971(昭和46)年12月19日で塩田による製塩は廃止されてしまいました。
塩田は天候に左右されますが、イオン交換膜法は工場での製塩ですので天候に左右されません。
広大な塩田も必要ありません。
海水にふくまれている3%の塩を電気の力で取り出します。
海水から作られますが、工業的に作られた精製塩は塩化ナトリウム含有量99.5 %以上と定められており、海のミネラルは取り除かれていると考えてよいでしょう。
一方、これまでの農業的な製法で作られた塩は海水を煮詰めたものですので、海のミネラルが含まれています。
海洋科学館入館時にいただいたお塩は、塩分約88%と書かれていました。
ミネラルは我々が生きていく上で、絶対に必要なものです。
現在日本で販売されている塩の多くは工業的に作られたものだと思いますが、天然塩も購入することができます。
1997(平成9)年4月に塩の専売制が廃止され
2002(平成14)年から塩の販売が完全自由化されました。
専売制の廃止や完全自由化になるまで、いろいろあったようです。
そのいろいろのおかげで、天然のお塩を再びいただけるようになりました。
わたしは海のミネラルが含まれた天然塩を愛用しています。
手間のかかる天然塩は精製塩と比べると値は張りますが、身体には良いのではないかと考えています。
ちなみに、塩の販売で「天然塩」「自然塩」といった表記は認められていません。
天然塩と書いてあればわかりやすいのですが、書いていないのでパッケージの情報をよく読み判断しています。
製造工程もいろいろあり今まで読んでもわからない点もあったのですが、今回海洋科学館・塩の国を訪れたことで塩づくりの工程の理解が深まりました。
それは、わたしにとって大きな収穫でした。
塩田案内
8月の天気の大変よい日だったため、日陰で説明を受けました。
大変暑い日でしたが、海に近いからか風がよく吹き、日陰は過ごしやすかったです。
塩田案内のボランティアスタッフの方は、子どもの頃塩田で塩づくりの手伝いをされていたそうです。
赤穂の方にとっては、子どもも塩づくりが身近だったのですね。
かつて広大な塩田があり「向こうの山の麓まで塩田だった」と話されたのが印象的でした。
赤穂の財産とも言える広大な塩田が今はなくなってしまい、非常に残念に思います。
一度なくなってしまうと、もう復活することはできません。
塩田跡地には、すでにいろいろなものが建っています。
海洋科学館・塩の国もその一つです。
こうして塩について学ぶ場所があるのは、とても有難いことだと思います。
これからもずっとのこっていって欲しい施設だと思いました。
④に続く!