先日4月8日放送の
NHK「ドキュメント72時間 冬の終わりに 移動スーパー 集落をゆく」
の90歳女性の言葉が胸に響きました。
雪景色残る日本海沿いを1台の軽トラックが走る。荷台には野菜やお肉、お菓子などがぎっしり。今回の舞台は、最近、全国で増えている移動スーパー。巡るのは京都北部の集落。1週間ぶんの総菜を買う高齢の夫婦や、友人とのおしゃべりのためにとお菓子を大量に買う女性など、多くの人たちが移動スーパーの到着を楽しみにしている。過疎化が進む地方の集落、みんなどんな暮らしをしているのか。移動スーパーに3日間、密着した。
(公式HPより引用)
この老人ホームでは朝昼晩と3食出るそうですが、90歳の女性は毎週移動スーパーが来るのを楽しみにしているそう。
90歳女性
「やっぱりおやつの一つも欲しい時が あるんですわ。アメちゃんやら。」
女性は入所して11年。
介護士によるサポートや健康に氣を遣った食事など、今は何不自由のない暮らしをしていますが、無性に外の世界に触れたくなる時があると言います。
「この中から選んで 自分でお金も払って 好きなもんが買えるんです」
「こうして見て歩くだけでも 嬉しいもんですわ」
そう笑顔で語りました。
女性が心から嬉しそうに話しているのを観て、わたしはショックを受けました。
食材を買うことはわたしにとって当たり前のことで、日常のことだったから。
時には、面倒に思うことさえありました。
(時にはじゃなく、「いつも」かも・・・)
それなのに、それを楽しみにしてこの上なく嬉しそうに買い物をしている。
わたしは何か大切なものを見落としているのではないか、
そんな氣がしてきました。
旅行など非日常の出来事は、特別なこととして有難く受け止めることができているけれど、日常をそのように思うことはできていませんでした。
幸せは失ってからそこにあったことに氣が付くことが多いけれど、失う前に今ある幸せに氣付けたら、氣付いて大切にすることができたなら、どんなにいいでしょう。
実は日常こそが特別で、そう捉えることが出来たなら、毎日がもっと輝くのではないか、
そう思えてきました。
当たり前だと思っていたことが特別なことで幸せなことだったことを、改めて教えていただきました。
ありがとうございます。